『教養としての大学受験国語』

 というわけで再読。
教養としての大学受験国語 (ちくま新書)
 この本の意義はいろいろ語られてるところと思うので、不満点に絞って述べます*1。よい本にとって欠点とは取るに足らないものですが、この本は参考書としての準備段階に問題があると思うので。受験を終えた大学生以上が多少距離を取って読むのにはいいと思うが、盆暗な受験生(昨年度の私を含む)にいきなりこれを与えるのはどうか。
 「はじめに」および序章によると、本書によって石原氏が意図しているのは読者が「思考のための座標軸を持つこと」 (p.13) である。評論文に書かれていることを絶対と信じず、距離をとって読み、さまざまな考えを相対的にとらえる。そして、そのためには二項対立を考えて、二元論で読むことが必要となる。なぜなら「座標軸」は、二項対立の両者 A と B の関係のあり方について、 A と B のどちらに比重をおくかを判断し、点としてプロットしていくことで作られるから。……といったところだと思います。このことが試験問題を解くさい役立つだけでなく、大学生になっても重要なのはわかる。
 しかし、これを身に付けさせるためのサポートが弱い。二項対立については毎回触れているのでサポートが「ない」とは言いませんが、触れているのが試験問題を読んだあとなので毎回ついつい意識するのを忘れてしまう(いや僕がバカなせいなんですが、参考書はバカに読ませるためにあるわけで)。本の序盤だけでも、問題前に「何という二項対立が隠れているかわかるかな?」の一文くらいは欲しかった。代わりに目立つのは選択肢の絞りかたや出題の傾向など、この本の趣旨からすると二次情報にあたるもの。出題者側なのでいろいろ気づくことはあるのでしょうが、混乱する。
 あと、「座標軸を作る」と言いながら、似たような傾向の文章を選んでる章があるのはどうなんでしょう。まずは両極端の主張をもつ文章を取り上げるべきだと思うのですが。
 この本、各章は「問題背景の解説→入試問題→解説しながら解く」という形をとっているのですが、本の趣旨からしても解きかた自体はオーソドックスでいいのだから、いっそ問題を解くパートはなくてもよかったのではないか。さまざまな評論文に触れさせて、問題に対するおおまかな意識をつくるのを目的にしているのなら、構成は問題文と背景の解説に絞って、解説をより手厚くしたほうがよかったと思う(あと問題分が穴埋めになってて読み辛いところがあったので)。


 以上エラソーで恐縮ですがこのようなところです。趣旨はいいし解説もうまいので、惜しい本だと思う。最初に「はじめに」と序章を書いて、でも本編を書いてるうちにその理念(座標軸を作る)を忘れていってしまったのではないかと憶測する。読み方に注意して使えばためになると思うけど、特にこういう、基本的な技能や意識の確立をめざす参考書はそういうことのできない人のためにあるわけで。というわけで現行版では大学生以上向け、と判断しておきます。「この僕の本の寿命も十年はあると見ている」 (p.301) との事ですが、発売が 2000 年 7 月。そろそろ十年経とうとしているわけで、もし改訂版や続編を出すならばここで述べた点を考慮してくれれば幸い。

*1:この本に対する批判はタイム指数研究所『買ってはいけない−大学受験参考書編【改訂版】』(初版2008年)所収の原ハジメ「甲の薬は乙の毒」にある。いかんせん同人誌なので参照しづらい。内容は本書にふくまれる欺瞞を暴くもの。批判は妥当だが責めすぎの感じはある(言葉づかいがキツすぎる)し、欺瞞があるからといって本書の意義までが否定されたわけではない。ただこの本を批判的に読むきっかけにはなったと思うので記しておく