神聖かまってちゃん『友だちを殺してまで。』

友だちを殺してまで。
 最近の音楽をあまり聞かない僕がこんなこと言うのもおこがましいんですが、この作品で21世紀の日本のロックがようやく開けたかなあと感じた。個人的には好きじゃないけどアルバムタイトルに「。」つけちゃうのも今風だよね。
 「ポストYouTube時代のポップ・マエストロ」と言ったのは相対性理論だが、彼らは先走りすぎだ。今はニコニコ動画世代、VIP世代まっただ中ですよ。このアルバムに入ってる楽曲のそこかしこにのぞく単語を見よ。「ジャポニカ学習帳」「めざましテレビ」「キラカード」「計算ドリル」etc. とにかく世界が狭い。ていうか正直身につまされた。今の若者は世界が狭いんですよ。僕もまえに小説書こうとしたとき舞台が通学路だったもんね。家―学校、これが基本ライン。いやこれのどこがニコニコ動画でどこがニュー速VIPなのか理解に苦しむが、まあ最近の若者(もちろん、僕も含め)の閉塞感ってそういうことだと思う。世界が狭い。ていうかモロに高校生くらいの時分はそうですね。夏休み、もの寂しいけどすることもなければ「チャリをこぎ続け」て昔の好きだった人思い出して行き場なくなってるくらいが関の山ですよ。いや歌ってるのは23歳なんだけど。でもやっぱそんなもんなんじゃないかと思う。怖いな。
 で、歌詞が口語体というのは昔っからあったと思うんだけど、しかしまあここまで恥ずかしげもなく世界の狭さを露呈するような、真の意味でリアルな歌詞というのは近年のものでは少なくとも僕は初めてだった。あらためて見渡してみるとわれわれ、ずいぶん縛られてますよね。無言の縛りがある。「空気」ってやつだ。なにもないのに道路で立ち止まったら不審がられるわ、建物の壁をまじまじと見ていたら今度は自分に注目が集まるわ、電車に乗って座席につけば本を読むか目を閉じるか下を見ていないといけないという視線の不自由。うんぬんそんな感じで万事に様式は決められていて息苦しい!というのは僕のさいきんの実感。すいません、今見直したらそれは関係なかった。でも実はちょっとだけ関係はあって、すべての行動が様式化されている今(表現活動もっすかね……)、もはやわれわれは(高校生の僕は)外の世界というやつを想像さえできずにいて、だからふと閉塞感、みたいのを感じ取ってみても、そこからどうすればいいのかはわからなかった。マジですよ。マジ。飼いならされてるってやつだと思います。社会に。いや社会に悪気があったのかどうかは知らんけど。ともかく、学校と家との往復路のうちでしか動こうと考えられなかった僕の実感にぴったりきた歌詞でした。
 でまあそんな感じです。正直言っていまさらこれに共感というほどもないんですが(いや、あるんですがど真ん中ではない)、それにしてもわれわれが直面し、また後の世代も直面していくだろう閉塞感を素直に描き出したアルバムだという意味で2010年代に出される必然性ある作品だと思った。ぜんぜん書いてませんが音楽としても優れてます。技術の衒いはないが演奏は安定していて楽器の素敵なフレーズがいくつか見出されたしボーカルもたぶん実はうまい。ディレイかかりまくりで何言ってるのかわからん「死にたい季節」が好き。