精神の鈍さ

 学科の勉強(ほとんど語学、ドイツ語)がわりに忙しい都合で、なんか最近創造してないなー。創造つっても日記で自分の意見を言うくらいのものなんですが、それでも input に次ぐ input では精神によくない。 output でも他人の意見を繰り返すんでは物足りない。いや語学は input と output が揃ってるのでそれはそれでいい。問題は創造のヒマがないということで。創造するっつうのは僕の所属してる学科に引きつけていうと、べつに高尚な意味でなく哲学したい、具体的内容としては日々気になってることを心ゆくまで考えてみたいと。いろいろ取り入れた知識見識をぐるぐる混ぜて新しい形に精製する、あの創造。いろいろと興味の向くままに知識認識を深めるアレが欲しいよねという望み。時間が欲しいむしろ古代ギリシア的に暇が欲しい。うそ、大学生は暇だっていうじゃん。事実社会人よりはずっと暇なはずだ。それなのになんかそれでも暇が足らないと思っちゃう。それは精神の鈍さなんだと思う。頭の回転の遅さなんだと思う。読書もするし活動もドンドンできてしまう人というのは、僕とかより時間が絶対的にたくさん用意されてるのだ・神が差別しているのだというのではなく、やはり僕と同量に用意された時間を密度高く使えているのだろうなあと思う。頭の回転の速さ、同じ時間にどれだけの内容を詰められるか。体感時間。そんなものだ。僕は本を読むのが遅い。遅いだけでなく読んだはしからひとつ前の文の内容を忘れている。これも精神の鈍さからきている、と、経験が言っている。経験がものを言う。擬人化ってかそれは関係ないんだけど。でもまあそうすると僕も多少はもの分かりのいい大学生になりましたから、今後どういった方針で問題を削っていくかってのもだいぶハッキリさせられてるわけですし、事実少しずつ改善もしてますってば。精神を鋭敏にする。概念的で verbal なテクニックだけでなく、脳の本とかも読んじゃいますよ。ハードウェアを充実させる必要がある。このアナロジーで言うならば、適用したいソフトウェアにハードウェアが追い付いてない、ってとこでしょか。分かり易くてよいですね。以上です。 Twitter で書いてる人が日記に戻ってくることを望みます。