浪費は罪

 アマゾンで本を頼もうか迷っている。細かくいうと、本日アマゾンで本を頼むことは昨日の夜から決めていたが、今日こうして頼む段になってからもう一冊追加しようかという気になり、すると 5000 円くらいになってしまいそれが今の僕には大きな出費なので迷っている。浪費は罪。そんな道徳法則が己の内にある。買って読んでない本は山ほどあるのでそれなら俺はとっくに罪の意識に過剰に苛まれて入院でもしている頃だが、積ん読というライフスタイルが広く認められている現在・書籍をインテリアとして眺めることを肯定している不届き者の私は、ということでもないがなぜか買ったあとより買うまえのほうが葛藤がある。貯蓄が乏しいのになおお金を使うことへの苦悩。
 それが必要な本ならば、すこし高価でも買うがいい、結局そのほうがいい状態をもたらしてくれる。最低限の生活のためという低次の必要性でばかり考えていたことで視野を閉ざし精神が自室から出られなくなったのは承知のはずだ。しかしそれが本当に必要なのかどうか。その本がいわゆる「ハズレ」だったら。それを絶対的に反駁する道理はないだろう。だがその弱腰こそがこの凝り固まった生活を保護してきたのではなかったか。
 これは経済的な問題ではなく己の道徳法則との戦いになる。己の道徳法則と戦うなんて妙な話だが、自分にはしっくりくる表現な気がする。法則化した道徳判断は現前の感覚とは切り離されたひとつの物になり、他者の席から自分の行動を評価してくる。この道徳律がいつ形成されたのかはわかんない。まあ広くとって高校までなのは間違いない。今よりお金に不自由していてできることが今よりだいぶ少なかった頃。
 まあいいや。ともかく、この道徳律は「あとさき考えずにお金を使うとあとでほんとうに必要なときに使えなくて困るよ」という戒めが絶対化し身体性を帯びたもので、この内容をよく踏まえて目の前の事柄を吟味すれば問題ない。無用な戒律だとは言わないけど、今はいたずらに行動を束縛してる気味かな。というわけで注文する。