条件法における「先行」とは何か

 条件法とは、論理学の用語で、「 A ならば B 」、記号だけで書くと「 A → B 」の形をした接続のことを言います。この記事で問題にするのは、この条件法の文において、なぜ A が B に先行していなければならないのか、どのような意味で A は B に先行しているのか、ということです。
 例を挙げましょう。「もしすべての動物が青いならば、象もまた青い」という文があるとします。この文を条件法の形式に還元して読むと、「〈すべての動物が青い〉ならば〈象は青い〉」と区切られます。すると問題は、〈すべての動物が青い〉と〈象は青い〉の順序がなぜこう(〈動物〉が〈象〉の先にくる)でなければならないのか、ということになります。以下、わかりやすさのためにこの例に即して考えます。
 なぜこれが問題になるのか。〈動物〉が〈象〉の先になければならないのは自明に思われます。この順でないと文は正しくならない。「もし象が青いならば、すべての動物は青い」という推論は誤りです。〈動物〉が先にくるのが適切な順であるのは、あたりまえのように見える。しかし、先/後、というのは、たかだか読まれる順を示すに過ぎません。なのにそれが命題の意味に、つまり論理にかかわってくるとはどういうことなのでしょう?
 これを考えるために、「先行」という概念についてしばらく検討してみます。まず、「先行」が属するものは「順序」です。順序があって先・後が、あるいは前・後が生じる。もしくは、或る二つの個体のあいだで先・後や前・後が判定できるということは、そこに順序が定められているということです。では順序とは何か。順序は、「或る観点からみて最も近いもの同士を隣接させ、並べたもの」と規定できます。背丈の最も近い者同士を互いに隣りあわせれば、背の順ができます。しかし、どちらが前であり、どちらが後ろであるということは、どのように決めればよいでしょう? 背の順においては、背の小さいものが前です。しかしそれはなぜか? おそらく、そのほうが見通しがよい、という現実の制約に依っているはずです。同じように、長い/短い、濃い/薄い、遠い/近いなど、無数の対立とそれに基づく順序づけが考えられますが、それらに関してもどちらが前か、後か、ということについての固有の規定はもっていません。時間的先行・空間的先行、なんてものは客観的に見えるかもしれませんが、時間においては未来があと、過去がまえ、という取り決めがあります(時直線とその上で未来方向を向いている私を想定すると、未来が前になりますが)。空間的先行も同じで、むしろこれが最も恣意的といえます。数直線において正が右側なのはなぜでしょうか?。このようにして、順序までは客観的に確定できるものの、どちらが前か、後か、ということに関しては論理的な必然性をもって決めることはできません。
 つまり、「先行」は何ら論理的な必然性を含んでおらず、その根拠は現実に求めざるを得ない。とすると、現実において何かが先行していて、それがどうしてか意味にもかかわってくる、という線を考えることになります。
 いま、「もしすべての動物が青いならば、象もまた青い」が真であると認められるプロセスを確認しましょう。方針として、形式的に「もし〈すべての動物が青い〉ならば〈象は青い〉」と区切って考えます。もちろん実際に文を読んでいくときはアタマから読み下しますから、区切るのも読みながら、です。はじめに〈すべての動物が青い〉としたら……という仮定がくる。ここで読み手はこれを、いったん正しいものとして承認します。つまりすべての動物が青いものだと考えてみる。そして、接続詞「ならば」をはさみ、〈象は青い〉という帰結を見る。承認された仮定のうえで結論が成り立つことを確認する。命題の含意をこまかく加えていくと、〈すべての動物が青い〉を承認すれば、無条件で(必ず)〈象は青い〉は成り立たねばならない、ということになります。確かに、すべての動物が青いとすれば、動物のなかに含まれている象もまた青くなければならない。よってこの文は真であることが確かめられました。
 このプロセスを辿ることでわかるポイントは、 (1) 読む順序は各事態(〈すべての動物は青い〉と〈象は青い〉)の承認の順番にかかわる。 (2) 後件(象は……)はすでに認められた前件(すべての……)の上に重なるかたちで承認される。 (3) 命題全体の真偽判断には概念(「動物」と「象」)の包含関係の判断がともなう。の 3 点です。で、この 3 つをゆるやかにつなぎあわせることで、この記事で私が言いたいことがでてくる。つまり、条件法における先行は読む順序における先行であり、読む順序における先行は概念の包含関係に対する判断をふくんでいる。
 これだけだと分かりづらいと思うので、図もふくめて具体的に説明します。

 高校の数学ででてくるやつですね。この図は「 A は B に含まれる」を示し、同時に「もし A ならば B 」をも含意しています。まあ論理と集合が密接な関係にあるのは周知の通りですが、改めて、この問題にあわせて説明します。いま、〈象は青い〉が成り立つのは円形をした範囲 B の内側だけであり、また B の内側であればどこでも〈象は青い〉は成り立っています。同様に、範囲 A は〈すべての動物が青い〉が成り立つケースすべてを含みます。そして、 B 〈象は青い〉ケース全体は A 〈すべての動物が青い〉ケース全体を含んでいる*1。つまり、〈すべての動物が青い〉が成り立つところいつでも〈象は青い〉は成り立っているわけです。そしてこれが「 A ならば B 」の数学的な意味(包含関係、ですね)です。数学(純粋な論理の世界)においては、結局なにが先とか後とかはない。前述のように、順序は現実の恣意性によって最終的に決定されるものだからです。ただ、この包含関係において A を認めたらば無条件で B も認められる。読む順序は各内容の承認の順序であり、それは各内容の包含関係を経由して命題の真偽へと至ります。そして、この確認の順序を法則化して「 A → B 」と表記している。これが結論です。つまり、条件法における先行は包含関係の確認における先行だったわけですね。

*1:混乱しやすいのですが、〈すべての動物が青い〉が〈象は青い〉を含む、のではありません。これには(集合として)「含む」という言葉が「含意する」を思わせてやっかいだという事情があるのですが、とりあえずは「〈すべての動物が青い〉は〈象は青い〉を含む」を「〈すべての動物が青い〉が起こっているいろんな事態の一部に〈象は青い〉が成り立っているケースもある」とパラフレーズしてもらえれば判然とすると思います。この命題だと、すべての動物が青いにもかかわらず象が青くないケースも認められていることになります