日記でも書くかー

 春休み恒例の部屋片付け。主に紙媒体のアレコレを処分する作業。勉強などの合間にレポート用紙・プリントの裏・ルーズリーフ・などなどに書きつけた恒例のドラえもんの絵、絵、絵。俺はほんとうにドラえもんばかり書いている。なんか絵を書こうとするとドラえもんか、さもなくば文字のレタリングに凝っている。いや凝っているというほどではない。事実、ぱらぱら眺めていると自分の仕事の散漫さに気づかされる。俺の仕事にはまとまりがない。いくら飽きっぽいとはいえ、一つの作品さえ満足に作り上げられないのでは世界とうまく付き合ってゆくことはできない。そんなことを思って、これからは絵を書くときはすこしだけ、「完成」を意識して描いてみようと思う。ひとの絵を模写するのもいいだろう。作品を手段化するのって前は「どうよ」と思っていたものだけど、近頃は self-improve を生活の念頭に置いてはばからない私です。あれ、さっきまで、気づけば絵を「書く」と書いていたではないか。いまイスに腰かけ、ノートパソコンをひざの上に載せてこの日記を書いています。ふだんは(ここ数ヶ月ですが)背の低い机に向かい、正座ないし胡坐で書いている。そんな環境の違いが、そして本と書類と紙とジュースの缶・ボトルとに埋め尽くされ足の踏み場をなくしつつあるこの部屋を前にして、筆の滑りもいつになく好調。滑っているのは目の前の光景だけのせいではない。
 片付けてたら受験生、特に浪人生のころのアレコレアレコレが出てきて、それを見ていて僕は少しつらくなったというか、なんかぼんやりといろいろなことを思ってしまった。コンスタントに且つ相当時間を費やして勉強するために、 2ch の自宅浪人スレを参考にして勉強した時間を塗りつぶす方法を実践した紙が出てくる。 6 月。なんか思ったより勉強してたんだな。必死にとはやはり言えないんだけども、なんかやっぱり浪人生の頃のほうが勉強量はあったかなあと思いなおす。これで受かんなかったんだからやり方が悪かったとしか言えない。受かるのは運もあると言うけれど、まあ身につかなかったからやり方が相当に悪かったんだろう。ものごとも今よりも見えてなかった頃だし。これは僕が信じて疑わないことなのですが、勉強が身につく、勉強が上手にできるということは人間が成長しているということにかかわる。人間ができていないのに勉強ができるのは素質だと思っている。でも素質がないところからいかに積み上げるかというのが問題じゃない? ともかく、勉強だけしてても勉強できるようにはならない、というのが下手なキャッチコピーみたいでうさんくさいが僕が思っていること。だから実は浪人するなら仮面浪人が最適!なんて思ってもいるのだ。まあ仮面浪人だといざ志望校に合格したとしてスッパリそのとき行ってる大学をやめられるかって話があるのだけども。ともかく浪人は(特に自宅浪人は……)視野を閉ざすことになりがちなので、今から浪人するぞ!という人は(そんな縁起の悪い……)そのへん考慮していただきたく思いますね。このへんの話はもうちょとまとめて書きたいですね。ふん。
 あまり関係なくなった。俺のさきほどまでの心情と関係なくなったわ。大学に入るまで、いろいろなものを見過ごしてきたなあ、なんて思う。じゃ、片付けの続き。