「が」

 このカテゴリ自体そうですが、今日はかなり個人的な感覚のおはなし。なので読んでもたぶん利益はありません。ターゲットの狭い文章はさいきんはあまり書く気ないのですが、どうも「が」を見るたび気にしてしまうので、自分のなかで溜飲を下げるために書く。以下。
 「が」は逆接の接続詞の「が」です。同じような役割の語には「しかし」や「だが」があり、それらとの違いは(おそらく)字数のみです。「が」は一字。そして結論から言うと、その短さが私は気に入らない。例文を挙げておきます。「私は宇宙人が存在するとは思わない。が、存在しないと断言はできない」。
 短さが気に入らない、と書いた。なぜ短い逆説の接続詞がいけないか。その気分を端的に表せば、「たったひと文字で論旨の転換ができると思うなんて傲慢だ」といったところ。傲慢だなんて言いすぎだとは思いますが、でも一字だぜ……。助詞でも二文字のものがあるこの世の中に。あーともかく、前の文の内容をまるごと引き受けるところの接続詞がたった一字とは何事か、と思うのです。一字には一文の内容は重荷だし、その重荷を「が」一字に課しっぱで論旨転換完了を決め込んで平気で次の文に進んでいっちゃう書き手に僕はちょっとだけ不満がある。
 ところで、一字の接続詞には他に「で」というものがあり、これは私もよく使う。しかも特に違和感もありません。これと「が」と何が違うのか、といいますと、逆接かどうか、だと思う。「が」の抱える問題に、文章を読んでてこいつが登場するとなんかつまづいたような気になる、というものがある。まず文のリズムの側面があって、「が」を使った接続だと「■■■■■■。■、■■■■。」という形になり、あまり調子がよろしくない。感覚的にいうとズッコケた思いがする。ここまでは「で」も同じ。しかし加えて「が」は逆接という役割がある。逆接の前と後とでは文の意味の方向が変わるわけですが、それを認識するには比較的大きな頭の負担を要します。そこで論旨転換のシグナルを「が」一字で済ませてしまうと、だらだらだらーっと文章読んできて、いきなり「が」にぶつかって、あっ論旨が変わるのか心の準備しなきゃって、おおげさに言うとドキッとする。車で急カーブを曲がるような。こうした点を考えると「で」は論旨の転換を伴わないので、これを見てもべつに頭の切り替えを急速に行う必要はないわけですし、「しかし」は逆接ではあるが充分なゆとりをもって論旨の転換を待つことができる。「だが」も同様。
 いや……僕自身、文章を書くときに使いたくなるときもありますが。書いてるときの頭の回転ならしっくりくるんですよ。××××だよな。あれっ、でも××××ということにもなる。と考えるときの「あれっ、でも」の気づきの部分を「が」がうまく代弁している。××××である。が……、××××ということもあるぞ。と。ただまあ書いてるときはいいんですが、上述のように読んでるときの「が」はあまりいいものではないので、自分が書くときはわりと避けてます、といったところ。