書いてて自己嫌悪になるわ〜/でも、書いてる。自己嫌悪になるよな自分ではあるけど、とうめんはそれを肯定できないとつらい/この日記って自己肯定のために書いてる面もあるのかもね。の巻き。

 「仮面浪人 不健康」の検索によるアクセスを二たび目撃してしまった。ただ一度のアクセスなら広大なるこのインターネットの森に迷い込んだ旅人として見送るが、二度となれば何らかのリアクションを求めていると解してしまうコミュニケーションに飢えた(誇張)私なのでこの検索ワードについてなんらか考えてみようと思います。
 僕が仮面浪人について言及したのはこの記事においてで、その内容を抜粋&アブストラクトを施すと、「勉強ってえのは周囲のいろんなアクティヴィティ(活動)と一緒にあってはじめて適切にできるものだよ、つまりバイトしたり遊んだりで世の中を見ながら少しずつ学問のなかみを吸収する土台ができていくものだよ」という、いま要約したらずいぶんとエララララソーなこと言ってるなあと思ったんですがそういうことを書きました。こいつは僕個人の一度きりの体験を主観的に咀嚼したものに基づく偏りのある結論です。いちおう。でも僕自身はこれはわりと正しいと思ってます。浪人しても成績が上がらないケースが多いのは、社会的義務から解放されてだらけちゃうから、だけではなく、勉強だけしようとするからだと。
 いや……僕ももう大学生になって一年経つくらいだし、しょーじき「大学受験なんてくだらん代物だったわい」と決め込んで読書なりなんなりのアクティヴィティ(お気づきと思いますが最近のマイブーム語です)に没頭していきたい。いや没頭できないんだけど。没頭できないのが長いあいだ悩みですね。俺も寝食を忘れて勉強とかに没頭してみたいね。研究とかにね。関係ないけど「寝食」の読みが「しんしょく」なのはシックリ来ないでないですか。訓・音で気持ちわるい側面もありますが、僕は「ねしょく」という読みを提唱したい気がする。もちろんしないけれど。でーここまで読んでもらって分かったかと思うのですが、今日はまともに文章を組み立てる気はしません。いわば放談スタイルだわなー。
 困った。その、検索して来てくれた人に向けた文章じゃなくなってる。申し訳ない。これを正当化する理屈はない。あったとしてもここで掲げたくはない。そのまま書く。では本題に入ろうか。ふたつ上の段落より、僕はまえに「勉強だけしていては身につかない。いろいろな活動をしながら勉強するのがいい。だから仮面浪人ってじつは効率いいんじゃないか」ということを書いた。で、そんな仮面浪人は不健康か?と反省してみる。まずね、浪人じたいが不健康だと思いますよ。僕の理想をいえば、みなおのおのの学力(ってやつ)に合った大学に入ればいい。身の丈に合わないうつわを望んじゃいかん……とは言いませんが、誰もが「より上を目指して!」というスタンスで受験に対するというのはピンと来ない。受験をきっかけに一念発起してガンバルのはいいと思いますが、みんな一念発起することはないっつうか。大学受験にまつわる雰囲気はなぜむやみに勝者と敗者を生産しますか……って、まあそれが社会の構造ってやつなわけで。いや、壮大に尊大に理想を語ろうとは思ったんですが、さいきん己れの現実感覚のなさに不安を覚えてる頃なもんで。いつかは現実状況を冷徹にふまえたうえでの理想を語れる男になりたいですね。
 いいや……この話は忘れてください。仮面浪人の不健康さについて考えましょう。ていうか僕が一人で考えます。仮面浪人のなにが不健康かっつうと、 (1) 望んだ大学に合格したばあい、そのときの人間関係をあらかた解消することになる。そして、それを人間関係をもうける前から知っている。つまり一年後に解消する前提で人づきあいをすることになる。の一点ですかね。ほとんど。しかも、決定的な一点。仮面浪人ってよくね?と思っていたけど、ちょっと倫理的にどうかと思うね。不健康よりは不健全、でしょうか。そこまでしていい大学に入ろうって気にはなるかは……。人によるか。僕の見方がちょっと神経質すぎるのかもしれないし。ちなみにこの点をクリアできれば問題はないような……と思ったが、大学の勉強もけっこう忙しいのよ、という問題もあるな。実際けっこうやることあるんすよ。まあ辞めるの前提だから単位を取る必要はないとはいえ、そうすると大学行く必要あるのかないのかって話に……。自宅浪人でいくつかのアクティヴィティを投入した方がいいようにも見えますね。
 見えますね。ってことで。結論としては仮面浪人はいろいろ問題があると。宅浪+バイト……ぐらいが適当な気がします。でも素直に受かったとこ進学するのがいちばんいいような。んー。頭がはたらかない。なんかグシャグシャな文章ができてしまいましたが、これはキッチリした文章ばかり上げてる(自己評価)近頃をかえりみてのバランスをとるためでもあるんだろうな。日記カテゴリを設けたのもそういう本能じみた感覚がはたらいてのことだったりする。それでは。また。