大人その3

 今日はメモ程度で。
 大人になると「不合理な」疑念に悩まされることもなくなり、生活は快適になる。そうすると言うことも変わってくる。ここで困るのは、大人の私が言うことは、子供の私から見て疎ましいということだ。なんか知らんけど。言ってることは正しいんだけど。それは大人の私が捨てているものを知ってだろうか。形而上学的な深みが足りないとかいうことだろうか。それだけじゃない気がするが、実はそんなところかもしれない。あるいは陰影がない、ということか。一面的である。それはそうかも。言えることだけを完結させて言う。あらゆる面を一度に検討しようとはしない。そんなところが不誠実に見えるのかもなあ。しかしこれには大人側からの弁明がある。それはまた今度。