大人その1

 どうかんがえても最近はネット活動が縮小しているので、 Twitter やめてここにどうでもいいつぶやきとか載せようかと思いつく。それがどこまで実現されるかは分からない。こうして断言調でものを書くとき、余分ななにかを切り捨てている。頭に浮かぶ少しの疑念を一瞥ののち見捨てている。ほんとうはその小さな疑念まで考え抜いたうえで断言するのが誠実だ。でも最近はそうしていない。効率。そういうことだと思う。生産性。そういうものが僕をこんな判断に導いている。たとえば満足に読書するためにはそういう態度が必要だ。そうか? しかし断言しすぎのようにも思う。絶対的な言明が事実上不可能だからといって常に奥歯にものが挟まったような言い方をするのも快適でないが、かといってすべてを断言するのは思考の放棄だ。極度の、あきらめた〈大人〉だ。だいたい人間が年をとっていくに比例して〈大人〉に振り切れていくのではなくて、ある時点で〈大人〉分を手にするのではないか。〈大人〉を手にすることで〈子供〉を捨てていくんではなくて、なんつーか両立しうるっていうか……、そう語ってくるとどうも恥ずかしい気がする。単なる理想論の匂いが強いからか。だがまあ〈大人〉と〈子供〉を使い分けることはできるように思う。そういうのが成熟した人間の姿だと思っている。