ネットを読まずともネットで書く

 ネット、あんまり見なくなったんだけど、しかし何か書きたくなるのは相変わらずだ。まー要するに好きに自己顕示できる場がここだってことだ。ネット/リアルの分けかたに僕がなんらかの絶対性を置いてるわけじゃなくて、もー単純に、今は、ネットで素人が書き散らしたものよりも、プロがよく練って作り上げた作品のほうが読んでて面白いなあと感じるターンだってことだ。あといろいろ本読んで知識入れときたいしね。だからネットの文章はいまは読んでない。ツイッターも、とくべつ気になる書き手の発言以外はぜんぶ無視しています(すいません。でも正直に書きます)。ただ、ネットを見ていないのにネットに書くってのはどうなのよ、という声は聞こえてくる。ネット/リアルの二分法をマイスタンダードに取り入れていないにせよ。ネットに書くということは、なにかしらネットで読むということを伴っているように見えてしまう。それが普通な、一般的なことだからか? つまり、大多数のネットで書いている人は、ネットで読むということもしているからか? とすればこれは義務ではない。まあせいぜい「周りから浮く」リスクを冒している程度の話になる。ネットにおいて「浮く」というのは、まあ程度の加減もありますがそれほど怖くはない(浮いてる人どうしでなんとなくグループを作れるし、なんならグループを作んなくてもいい)。だから僕はしれっと「読みたいと思わないので読まない。書きたいから書く。それだけ」と言ってふんぞり返ってればいいんじゃないか。ふんぞり返ってるというか。そうして自室からあまり役に立たない情報を断続的に発信してればいいんじゃないかな。
 ――というふうに、相変わらず自省は止まらない。言い方が悪ければ、相変わらず自省は怠らない。ま要するに、その行動の正当性を納得ゆくまで検討したい、という欲というか安全確認欲が意識の深いところにあるようだ。これはそこまで悪いこととは思わない。安全確認がとれれば安心だし、こうして文章を綴っていくと少しでも明晰に考えることで精神も安定してくる(いや普段も不安定というほどではないが)。そんなこんなわけで、思い立ったら日記を書く、ということだけは継続的にやってるわけですねー。