インターネットしてたら一時間などあっという間

 ですね。やっぱり楡です。何か書きます。
 バイト始めました。夏休みあたりからなんかぐだぐだ動いたり動かなかったり失敗したりを繰り返していたらこれが生涯初の社会参加っつうことになります。社会参加? というか。まあアルバイトですね。アルバイトといえば浪人のときバイトの一つもしていなかったことは悔やまれますね。やはり、なにかに参加していないと、なにか属するものがあってなにか義務をしょっててなにか自分の意思にあまりかかわらずさせられる活動があって、或る程度いろんなものを見る機会があって、そうしてはじめて十全に適切に勉強というものをする準備ができるのだと思います。そう思っています。なので大学入ってからわりと調子がいいのは必然的だと感じています。まあ自宅浪人一年間で、つまりニート的生活から学びとったものもありますが。それはほんの少しのことです。でもほんの少しのことですがそこでなければ得られなかった気もします。ともかくすべては結果が物語る。生活は結果の連続であり連続する結果の過程のうちからまた結果を産出していく。今のは特に意味はありません言葉遊びです。もちろん過程がどうであれ、それが大きな意味を持つ過程でなければ結果があとの評価を決める。そうして僕らは生きている。そういうこと? 生きるとかやたらと言及するのは趣味ではない。生活と人生を使い分けてるのはそのせい。まあ生活が結果の連続であるならばその連続した結果をそれぞれよく過ごして行けばいいわけで。
 バイトはあれですね、まだ 2 回しか出勤してないのですが、だから判断を下すのはまだまだ早いのですが、びみょーーだなーーーと思っています。いろいろ。システムって大事だよなあと思いますね。まあ朝起きるのも嫌になるくらいではないですが、だらだら Twitter のタイムライン眺めちゃうくらいには、まあ考えちゃいますね、といったもの。このへんはわりとコントロールできるようになったつもりだからいいけど。
 余談。自分の行動……というか身体の運動を、操作をコントロールする術・能力、というのは、結局のところ僕はそれを“願い続けることで”、言いかえれば小さな鍛練の途方もない積み重ねのなかで得てきた。結局、そういった技能を、なんらかの方法に拠ることなく、ちょっとずつ、ちょっとずつ自らの心のもちようを整備することで獲得しつつある(いまもその途上である)。その一方で、僕が、いわばちょっとこの経験を生かしてなんかしたいなあと思ってるのは、この技能の取得をなんとかして方法化・定式化・HOWTO化したい、ということで、……つまりかつての、そして今の僕のように思うように動けないで困ってるひとに役立てられないかなあーという思いがぼんやりとある。それで、ここで困っているのが、結局んとこ僕はこの技能を“なんとなく”得てきてしまったわけで、だから“具体的にどうすればいいか”というのははっきり意識化してないんですよね。ん。なんだっけそういうことだったっけ。……ああそうか、つまり、一旦“できる人”になってしまうと、自分がそれまで何してきたかってのはどうでもよくなってしまう。だが「それまで何してきたか」を再利用しようとするならば、こいつを忘れちゃいけないんだな、っていうことですね。そういう自分への言い聞かせですね。