道元『正法眼蔵』

正法眼蔵〈1〉 (岩波文庫)
 道元禅師ですね。当然というか何というか、全部は読んでません。この岩波文庫版第一巻のほんの一部です。これを全部読もうとすると大変な時間がかかるだろうなあというのがまあ中断の理由ではありますが、読んだら読んだだけ意味もありそうな感じはすごくする。内容は(一部しか読んでませんが)、ひたすら坐禅をすすめるというもの。お香を焚いたり念仏を読んだりはせず、ひたすら坐禅
 この本、よく難解だと言われているようです。確かに難解。古語で書かれているのは差し引くとして(当時の仏教書の主流は漢文だったらしいので、これは和文で読めるだけでも大きく有利)、語彙がわからないのですね。まあ難しい語彙については脚注があるんですが、すべてに付けるわけにもいかないんで、漢字の意味から推測して自分で補わなければならない。それで部分的に意味がとれたとしても今度はなんか言ってることが分からないんですね。まあそりゃ悟りの境地に達した、つまり或る意味「あっちの世界」に行った人なので仕方ないのでしょうが、しばらくは「電波系……」と思いながら読んでました。でも、しばらく向き合ってると、何が言いたいのか、なんとなーくわかったような気になれます。
 この本というか道元がすごいなあと思うのは、びっくりするような記述(「身心脱落」とか)をさらっと書いちゃうところですね。道元の文章は独特で、古語であるとはいえこれをネイティヴに読めるだけでも日本人でよかったな!とちょっと思いました。英訳もあるようですが (Master Dogen's Shobogenzo) 、 amazon.com でちょっと見たかぎりではやっぱり味気ないなあ……という気はしてしまいます。意味がはっきりしてるから勉強用にはいいだろうけど。
 この記事ではその魅力をぜんぜん伝えられていない(というかあまり触れていない……)のが残念です。引用しちゃうのが一番早くて的確なんだよなあ。というわけで気になったら検索してみてください。原文はいろんなとこに落ちてますので。