日記

 ハローこんにちはジャン・ジャック・楡です。今イヤホンからはスピッツの『ハチミツ』というアルバムが流れているのですがそれが日記を書くにちょっと邪魔というか邪魔なので音楽を聴きながら日記を書くのはちょっと間違ったなァと思っているのですが、振り返れば別に書けていないわけではないので集中力の問題かなあーと思っています。それでアレだ、 Twitter での発言を数日間抑制してみて、なんか言いたいことでも溜まったかなぁーと思ってこう「日記」という狙ったようなタイトルで日記を、かつての妄誕Fちっくな日記を書いてみようと思っているわけですが、さっきから「思う」という文尾節尾が多すぎるよ。
 で。
 あ、あと、「かつての妄誕Fちっくな日記を書いてみよう」と言ったり「ハローこんにちはジャン・ジャック・楡です」とふざけた様な名乗りを上げてみたりといった状況なのですがこれは別にルネサンス文芸復興とかいうアレではなく謂わばいいものはいつの時代にあってもいい、古いものは古いゆえに良いのではなくそれが普遍的なよさを備えているから現在にも残っているのであって、それにしても古いものにいいものが多いような気がするのはそれはその分野の黎明期であったゆえで昔のひとが今の文化の大半のパターンを発明してしまったのは世界の無情さ!なんて思わないでもありません。でもそのおかげで例えば僕たちはやすやすと三次関数の極大極小を求めることができるし、小学生でも人権を主張するし、少女の絵を描くし、「神は無限である」なんて大真面目に言っていた昔の哲学者を嗤ってやることだってできるのです。完全に話が逸れた。
 しかしこの話の逸れかた。あのころの感覚がけっこう容易に戻ってきている。原因を想うに、たぶんそれは“話題がない状態からはじめた”からだと思います。同様にこれは独り言というよりは話の合う友人とする放談の感触に近い。場合によっては「さいきんどう?」が最高の会話の起爆剤になるのかもしれません。でまあそれはいいんだ。さっきの話題に戻ると、その昔書いてたような日記をまた今書いているのは別にみんなでテキストサイトに戻ろう運動の一環というわけではなく、単に僕自身がこういうの読みたいから自分で書いてるのです。まあでもそれも「聴きたい音楽がないから自分で作った」というようなカッコ良いものではなく、そもそも僕は自分の書く文章を自分で読むのが好きないわゆるナルシシストであるので、そうして自分の書く文章ならできるだけ自分成分が出たほうがよくて、という事情はあります。
 自分で書いてても思うのだが、これじゃあ何言ってるかわからんな……。それでもまあとにかく出発はここから、ということで。ちょっと学校行ってきます。