悩み(に足らぬもの)

 うーん直接にそのことを書くのははばかられる(ちと恥ずかしいので)ので、間接に、対象のまわりをぐるぐる周るようにして記述してみよう。取るに足らないといえば取るに足らない話なので Twitter に書こうと一度は思ったが、長くなりそうなので日記に。
 で。おとといに「あのこと」があって――というか、自分がして、というか――以来、気持ちが沈みがちというかたびたび思い起こして「あーあ」と意っている。一つはつまらなさであるし、もう一つは後悔だし、他方で仕方なかったな、というのもあるし、しかしそもそもこれは自分の落ち度でもあったのだが、かといって反省するだけでは、少なくとも僕が望む形での解決はなされない。この「僕が望む」というのがとても困ったもので、自分が欲望をまったく捨てることができれば、たぶん純粋に僕の内部においてはこの問題は解決される、というより消え去る。だけどそんなことは、まあ普通に連続した生活を続けていくかぎりでは実現しそうもないことで。
 以上がだいたいの悩み(に足らぬもの)の様相であって、その状況を顧みるにこれは僕の一存ではどうにもならない問題で、だから結論としては、このたびたび浮かんでくる意識が自然に薄らいで消えてゆくまで、ごまかしつつたまに向き合いつつ、ただじっと、結局のところ「待つ」しかないんだろう、ということまで見えている。「待つ」と言っても、ずっと立ちつくして首を長くして待つ“待ち”だけでなく、イスに腰かけて文庫本を読みながら待ったり、寝て待ったり、追いかけるふりをして待ったりなど無数の“待ち”があるわけで、自分はそのなかから選択することができるはずで、だから……何だっちゅう話なのですが。だからまあ、その程度セルフマネジメントができるようになったといいますか、あるいは単に慣れただけなのかも知れませんが、その「待つ」ことが必ずしも辛いこと不快なことだけではない、ということはまあ分かると思います。たとえば現実?逃避のために読書が進むね。インターネットは(僕の巡回内容のせいですが)そうめまぐるしく情報が追加されているわけでもないので、うーんなんだろ、情報をどんどん容れて「それ」を考えるスキをなくしてるんだと思う。まあともかく読書が進むというのはそれ自体はありがたいことで、だからこの機会にどんどん作業はしていこうと思ってる……なんて書くのはもう収拾が間近にあるサインにも思えるのですが、どうか。
 それにしても小さなことで精神の健康を崩すものだ。いやいやこれは重大なことだぞ。あの頃の僕に見せたらなんと思うか。まあ見せたくない光景に違いない。しかし実際のとこあれが相手に及ぼした影響ってどんなものなのか、それがほとんど想像できないのだが、まあでも客観的に見てあれはすべきでなかった、っちゅう評価は避けがたい。
 だが今さらどうしようもない。今動くともっとマズイ状況に行きそうだし。
 まあそんな感じでございます。愚痴でしたね。ともかくこのことはこの領域として、なにか展開があるまで、あってもなくても、静観するしかなさそうだなあ、というのが一つ。それは決まってる。とにかくそれまでに人間的に成長しないとなあー。あと、自戒は「自分から行け」。