さびしさと私をとりまく(とりまかない)状況について

 今私はさびしい。いやなんか部屋移動して電灯つけたらそんなでもなくなってしまったのですが、さっき暗い居間でビートルズ聞きながらパソコンで作業してた時分はさびしかった。 Twitter のタイムラインが賑やかでなかったのもまずかった。こうしてさびしさというものは自分の身の置き方ひとつでどうにかなるものだとわかる。わかるがわかっていても何もしないことができるのが人間のめんどうな部分で。
 よく思うのは「世界は非合理的だ」ということ。さびしいとき僕は思う。彼女欲しいなあと。この身の所在がわからず、居心地の悪い空間にじっと鎮まっていなければならないとき、この存在をまるごと肯定してくれるような彼女が欲しいなあと思う。まるごとまでは言わんが誰か他人が絶対的に俺の側にいることを知れれば。そういう相手がいれば俺はこの先いつまでも安泰だと考える。そういう相手がいさえすれば。
 いないんだよな。実際のとこ。今現在いないどころかこの先できる気配もない。端的に言って僕は女性に縁がないのだと思う。いやいや諦めちゃいけないとやさしい言葉をかける人もいるかもしれない。だがシビアな現状認識として俺は彼女ができるような人じゃないです。実際んとこね。気持ちの問題。分かってます。よく聞きますそれは。自分でも思うし。でも知っててできないのはなぜか。勇気? 君はその勇気ってやつをどうやって得たのか。なんにもないところから獲得したわけじゃないでしょう。
 「知ってる」と書いたけど、ほんとはわからないんだよな。全然、暗闇にわからない。結局これは経験しないとわかんないことなんだと思う。経験した人には自明。しかし経験がなければ真っ暗。そんなものだろ。そして僕は「わからない」側だ。わからないのは、どうすれば彼女ができるのか? いつ、どこで、どのような状況で、告白する/されるということが起こるのか。そういうこと。
 慕情とよばれる(呼ばれないか。今は)ものが生じる、というのはまあいい。これは万人に起こることだと思う。問題はそれがいかにして実体として関係に結実するか、ということで。ひらたくいえば告白するっつうのはどうとらえればいいのか、ということです。
 いや、そもそも慕情まで行かなくてもいい。なんか好みだなあと思ったとき、付きあってこの人と合うかどうか確かめてみたいと思ったとき、俺はどうすればいいの? ということ。なんだ答えは出てるじゃないかという声がする。まあそうなんだけど、そうじゃないだろ。俺の言いたいのは。
 「世界は非合理的だ」と言ったのは、一人に対して一人しか付き合えないっていうあたりまえのことに対してなんだわ。だってそうだろ。このひと好みだなあ付き合ってみたいなあと思う、しかしその人はすでに付き合っているひとがいる。そのとき俺は立ちすくんでしばらくのち立ち去るしかない。ねえ、もしこの人と別れたらさ次、俺と付き合ってみようよ、とか言ったら道徳への反逆者になってしまう。恋人を選ぶのは好きな音楽をツタヤや iTunes Store で選ぶようにはいかない。わけで。
 しかし非合理的とはいえ相手は世界なのでどうしようもない。住んでる世界を(比喩的にではなく)変える、というのはできない相談なので僕はこの世界の中でどうすればよいかを別の方向を探るしかない。
 ところで(プライベート日記で、かつて)いろいろ考えた結果、付き合う相手ってのは自分がどうしようもなくヤラレテいる相手でなくても良く、極論すれば、そのなかに愛情が芽生えれば誰でもいい、という結論が出ています。細かいことはともかくね。だから一旦付き合うという契約が成立すればあとの展開は自分のマネジメント能力(ま、うまく付き合ってゆく、という)に依る、という話になる。マネジメント能力についてはまた長くなるので解決済みだと仮定して、すると問題はいかに「告白するか」ということに戻る。
 告白の相手は「誰でもいい」んだけど、それだと必然性がないんですよね。ここが問題。必然性がないと動く気にならない。自分の選択にも自信が持てない。その点自分がどうしようもなくヤラレテいる相手がいるとよいのですが、そういう相手はそういう相手の性質ゆえに失敗する例のほうが多い気がする。気がするだけですが。だからそうすると身近な、どこにでもいるような(失礼)相手のほうがうまくいく率は高いんではないかと思うのだが、それだと必然性がねえ……。必然性にしたがって人生を導くのって狭き門ですよね。
 だからって訳じゃないが、大多数の人は偶然性に導かれて人生を進んでいくんだろうなあ。まあ全ての人はどっかに偶然性が決めた事柄を持ってるはずですから、これは程度問題なのですが。だってさ、「この人じゃなきゃだめなんだ」なんて、あなた世界中の人と会ったうえで言ってんの?といったら……という話であって、だからなんでもかんでも厳密に必然性を求めるこたない。僕の身の振り方にかんしてもそれでいいと思ってるんだ。その状況をいかによく過ごすか、が結局は重要な技術になってくるんだろうし。
 というわけで、偶然性にあるていど身を任せて動いて行くことにしたので、偶然になにかが起こるような場所・起こしやすい場所に身を置かなければならない。それには何があるか……(人と人とが出会う場所って限られてるよなーと思う)。